それってどうなの?
今朝の新聞で、ワタシとしては珍しく、突っ込みどころ満載の記事を目にした。
まず、「新型インフルエンザに対し、周囲の反応は過敏」だそうで、投稿者の主婦は、乗り物の中で「『ゴホン』とせきをするのにも気を使」い、「のどが急にいがらっぽくなっても限界まで我慢」しているそうで「世知辛いご時世だ」と嘆いてらっしゃる。
乗り物の中でせきをするときに周囲に気を使うのは最低限のエチケットで、それは今も昔も、新型インフルエンザが流行っていようがいまいが、関係なく、社会のルールだと思いますが。
それを「世知辛いご時世」だなんて。いったい、世の中の何を知って、ご時世を語ってらっしゃることやら。
それから、季節性インフルエンザの予防接種に予約を入れて近所の医院に行くと、待合室が患者であふれ、マスク姿が目立ち、看護師もマスクで警戒態勢。「私は何も持ち合わせておらず不安が募った」そうだ。
って、その医院の警戒態勢こそがまさしく今の「ご時世」でしょうが。そんなことも知らないで、信じられないことにマスクも持たずに飛び込んで、「不安が募った」なんて被害者意識はいかがなものかと。
そして、「この人数では待ち時間が長くなりそうなので感染しないように覚悟を決めた矢先に名前を呼ばれた」そうだけど、「感染しないように覚悟を決めた」って、日本語としておかしいと思う。「感染してもしようがないと覚悟を決める」のが普通でないかい?
「『この人、インフルだから順番が変わるけど先に診察室へ入って』と大声で看護師」に言われて「ギョッとした」らしいけど。
確かに個人情報を大声で話す看護師はどうかと思うけど、医療従事経験のない素人だったら、「このくそ忙しいときに予防接種なんて!ちょっとは空気読めよ!」と思うかもしれないね。
でも、この白衣の天使はきっと、「この人は病気じゃないから、先に予防接種をして、感染しないように早く帰しましょう」と思ったんじゃないかな。
「待合室は一瞬凍り付き、隣の人はあわてて口元を手で覆った」そうで、そりぁしかたないでしょ。マスクもしてないし。ワタシがその場にいてもそうします。感染予防は自己責任ですから。
「『違うんです。私は予防注射です』と言いたかったが、追われるように診察室へ入った」この主婦は、「背中に注がれる視線が痛く感じられた」そうで、インフルエンザに対する世間の反応が過敏であると論じてらっしゃるわけ。
「私は違う」と主張することこそ、インフルエンザに対して過敏に反応している証拠ではないのかな。この主婦だって、インフルエンザに感染したくないから、いち早く予防接種を受けたわけでしょ。
「背中に注がれる視線が痛く感じられた」のは当然のことで、ここでも被害者意識を持ち出しておられるが、その了見がよくわからない。
その視線の持ち主は、この主婦に診察の順番を越された待合室の待ち人たちは、間違いなく何らかの病を得た人、またはその付き添いの人、もしくはインフルエンザに対してハイリスクの人たちであったはず。
世間が過敏と批判する前に、もう少し我が身を振り返り、周囲に対して気配り心配りをなさったほうがよろしいかと。
朝っぱらから深ーく突っ込んでしまったワタシだった。


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