2006年7月30日 (日)

本か睡眠か家事か

木曜日に続き、昨日(というか今朝)も、「睡眠より本」状態だった。

他のいろんなことと同様に、ワタシは気分にムラがある。気分がのらないときは何もしないが、一旦気分がのると「とことん」やってしまうのだ。あ~、悪い癖…。

それで、今回夢中で読んでいるのは、角田光代さんの『空中庭園』。きっかけは、よくおじゃまするbananafishさんの記事を読んでから。

以前、書店で『対岸の彼女』を手にし、ぱらぱらとめくって「どうしようかなぁ」と思いあぐねていたのだが、別の記事 のコメントで『空中庭園』をおすすめされていたし、文庫本で出ていたのでこちらは即決。

角田さんの著書ははじめてだが、「こういう本を書く人なのねぇ」というのが第一印象。まだ半分しか読んでいないのだが、父親が動物園で昔を思い出すシーンなどは、引き込まれ過ぎてまばたきや呼吸を忘れそうになり、そしてやっぱり鼻の奥がつーんとした。

後半を読みたくてしかたがないのだが、この本のママのように部屋をきれいにしておくことが、ワタシはいささかニガテであるから、たまった家事を片づけることが先。

「う~ん、えらいぞワタシ」と自分を励ましながら、家事に勤しむことにしよう。は~~あ。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年7月28日 (金)

やめられない理由

ココログには、『ラブ!リング』(←ちょっと怪しげ)と言って、同じテンプレートを使っているブログへ簡単におじゃまできるような仕掛けがある。

先日、何気なくおじゃましたのが 「辞めない理由」日記  というブログ。碧野圭さんという作家さんのところだった。

プロフィールによると、40歳を過ぎて作家デビューされたとのこと。同年齢の方のワーキングマザー小説ということにひかれて、さっそくその著書 「辞めない理由」 を買って読み始めたのが昨日。  

もう若くはないのだし、翌日のしごとに差し支えるから無茶はやめようと思うのだが、あまりのおもしろさに止めることができず、結局、夜中の2時すぎに読了…。さすがに今日は眠かった。

いや、何がおもしろいかと言って、「これはワタシのことか?」と思わず叫びたくなるほどのリアルさと言ったら、それはもう驚くばかり。

職場での理不尽なできごと。こどものトラブル収拾。スポーツクラブに行く心理状態。シャワーを浴びながらの嗚咽。PTAの役員の話。スタバのカフェラテ…。

「ハリー・ポッター」を読むこどもの隣で「海辺のカフカ」を読むシーンなんて、どんぴしゃすぎて笑ってしまったほど。

前半は自分のことを辛辣に観察されているようで、正直言って読むのが辛かったけど、後半は読みながら、だんだんと明るい心持ちになってくる。

このところ、自分でも収拾がつかないくらい「がーっ」と突っ走ってきて、そして気がついたら身体が悲鳴をあげていた。

…もっと自分を大事にしろよ。もっと自分に正直になれよ。

うまく言えないけど、もうひとりの自分から勇気と元気をもらった感じかな。

絶妙なタイミングで出会ったこの本と作者の碧野さん、それから『ラブ!リング』に、感謝、感謝です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月27日 (木)

本に夢中

久々に書店で本をまとめ買いし、夢中になって読んでいる。

このままの勢いだと、寝る間も惜しんで読み尽くしてしまいそうなので、強制終了。

感想は後日…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月14日 (日)

舞台を訪ねて

福岡市の東部に香椎という地名がある。大学や高校がいくつかあり、住宅地も多く、そこそこ賑わっている街である。

この香椎は、松本清張氏の推理小説「点と線」のひとつの舞台でもある。高校生のころこの小説を読んだワタシは、「いつか舞台となった土地を訪ねてみよう」と思ったものである。

その舞台のひとつである私鉄の駅舎が、再開発事業により取り壊されるらしい。もうひとつの舞台だった旧国鉄の駅舎はすでになく、駅周辺もかなり様変わりしている。

後年、ある後輩がこの香椎出身と聞いたときも、当然のように「『点と線』の舞台だよね」と問いかけたのだが、彼は何と「点と線」を読んでいなかったのだ。

「えぇーっ!?学校でも習わなかったの?」

「全然…。」

ワタシは絶句した。いったい教師は何をやってるんだ。小中学校は無理としても、高等学校の、せめて国語教師くらいはなんとかできなかったのか。

こういうことであれば、おそらく地元の人でも当地が小説の舞台だということを知る人は多くないだろう。

人が生活を営む場所だから、街が便利なように変わっていくのは当然のことだ。それは否定しない。

ただ、その土地にゆかりのあることがらは消えてほしくない。人々の心の中に残っていてほしい。

それは例えば「点と線」で言えば、作者や読者たちの共有財産であると思う。小説を読んだ人が、「香椎ってどんなところなんだろう」と知らない土地に思いを巡らし、いつか機会があったら訪ねてみようと思うとき、地元の人の心の中からこの小説のことがすっかり消え去っていたとしたら、そんな寂しいことはない。

ちなみにくだんの後輩はそこそこ偏差値の高い学校を出ているのだが、学生時代、本をほとんど読まなかったらしい。

うーん。国語教育というより、根本的な教育制度の問題なのか…?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月20日 (木)

流行りものには…

馬には乗ってみよ、人には添うてみよ(だったか?)とか言うが、ワタシの場合は「ベストセラーは読んでみよ」が加わる。

ま、話のネタのためにも取りあえず読んでみようと思う。

当然、当たりハズレはある。

でも、話題の本、多くの人に読まれている本を知ることは、大袈裟に言えばこの時代をリアルタイムに生きた証だと思っている。

そんなわけで、「国家の品格」を読むことにした。

感想は後日…。

ところで某国の国家首席は「スタバに行きたい」とおっしゃったとか。

流行りものに心ひかれるのは、古今東西変わりなしといったところか…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月11日 (土)

同期という存在

昨日発売の文芸春秋で、芥川賞受賞作「沖で待つ」(いと山秋子作)を読んだ。

それまで読んでいた「二人乗り」で、「嵐子さん」という女性にツッコミを入れまくったあとだったので、「沖で待つ」の登場人物のリアリティーが好ましく感じられた。

それにしても、「同期」というのは良いものだ。

>仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。

本当にそうだと思う。はじめて顔をあわせて20数年たつけれど、「同期」というだけでいろんな壁が取っ払われる。

同期の飲み会は掛け値抜きのくつろぎの場となる。

若い頃は、それでも学生時代の延長の「合コン」のようなノリで色恋沙汰もないわけではなかったが、今となってはそんなことも含めて、みんなでいろんなことを許容し、思い出を共有しあっている。

だから、同期がこの世を去ったときのショックは筆舌に尽くしがたい。昔、同期のある男子が急死したとき、「自分のところに別れを告げに来た」という気配を感じた女子がふたりいた。

今でも思い出話にふけるとき、「あいつはなんで女の子のところにしか、寄ってかなかったんだろうな」「女に未練があったのかな」と、それぞれの胸の内にちくっと痛みを感じながら話したりする。

たまたま同じ職場で一緒に仕事をはじめた。それだけの括りなのに、同期というのは不思議な関係だ。年齢を重ねるごとに、その思いが強くなる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月10日 (金)

待っててね

さて、3冊の「ライ麦畑…」を前にして悦に入っていると、息子が「何の本?」と聞いてきたではないか。

ふむふむ。良い流れだ。

ワタシは間違っても、自分から「この本を読め」とこどもに強制したりはしない。

ワタシの持っている本の中から興味を引いたものをこどもが自分で手に取るのを待つか、「何かおもしろい本ない?」と聞かれたときに「これはおもしろかったよ」と感想を伝えるか、書店や図書館で自由に選ばせるか、そんなところだ。

同じ親から生まれたこどもでも、読書傾向は全く違う。娘が手に取るのは、マンガか活字の少ない詩集のようなもの(結構いま流行している)か映画・ドラマの原作本で、ワタシが読むような本にはほとんど興味を示さない。

それに比べて息子は、手当たり次第に何でも読む。量が半端でない。今はそういう時期なのかもしれない。

で、例の3冊のうち、ちょっと考えて原書を見せる。少しばかり見栄を張ったわけだ。

「ふ~ん」とぺらぺらめくって、あとの2冊に目をやる。「それは?」

「いや、これも同じ本…。」

「何の意味があるの?」…意味。意味ねぇ。あらためて聞かれると、自分でもよく説明できない。

「あっ、そうか。ハリー・ポッターもそうしたよね。」

覚えてたのか、息子よ。4年も前のことを。読めるような気になって原書を買ったけど、途中で挫折した母の姿を。

今度は違うから。訳本が2冊もあるんだからね。

いや、その前に、読みかけの「二人乗り」と、今日買った文芸春秋の「沖で待つ」が待ちかまえている。

ストーリーがごちゃごちゃにならないように、ひとつひとつ取り組もう。

待っててね、ライ麦畑…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 9日 (木)

故郷の空

別にスコットランド民謡からインスパイアされたわけではないが、急に「ライ麦畑でつかまえて」が読みたくなった。

もとはと言えば、このところの息子の読書ペースに、母親として少々焦りを感じはじめたのが原因だ。このままいくと、いつか先を越されてしまう。それはいかん…。

「ライ麦畑…」は、我々の世代にとっては、「これをはずしちゃいかんだろ」的な本だった。もちろん、原書で読めることがステータスだ。

ワタシもいつか、原書で読むぞ。そう意気込んで、はやウン年。「いつか」は、当然のごとくまだ来ない。

そのうち息子に「え~っ、読んだことないの?」と言われる日が来る。いかん、いかん。

ここはとりあえず、訳本でも。と思い昼休みに書店に駆け込む。

おおっ?村上版がある。そうだった、村上春樹氏も訳してたんだった。きゃーっ。手に取ろうとすると、「読み比べてください」というポップが。ポップの先には、野崎孝氏の訳本がピカソの絵とともに光を放っている。

どうしよう。もう時間がない。ええぃ、2冊買いだ。おすすめどおり、読み比べよう。

午後、しごとの合間にも、頭の中にスコットランド民謡が鳴り響く。週末はどっちから読もうかな?

で、ふと思いつく。今なら原書でも読めるかも。いや、何の根拠も自信もない。これは「今、読め」という啓示かもしれない。

そう思ったらいても立ってもいられず、終業後、また同じ書店に駆け込み、原書も買う。応対したレジのお姉さんが昼と同じ人というのも、何かの運命かも。(いや、不思議な人と思われたのがオチだろうが…)

そういうわけで、ワタシの前には、3冊の「ライ麦畑…」がある。読む順番が難しい。どうしよう。頭の中ではずっとスコットランド民謡が鳴り響いている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月30日 (月)

カンガルーが笑う

昨夜、あれから一気に「博士の愛した数式」を読み終えた。

やっぱり数学好きにはたまらない本だ。

eとかiとかlogとか、昔の大切な友人に再会したような気分。

数字や数式が織りなすロマンを十分に堪能できて、すご~く幸せ。

数学をモチーフにした作品では、古畑任三郎シリーズの「笑うカンガルー」も好きだ。

古畑シリーズの全作品を見たわけではないが、個人的には三谷氏渾身の作だと思う。

この中にも、「フェルマーの最終定理」と思しき定理がひとつのファクターとして出てくる。

あと、これは賛否両論あるだろうが、「ダ・ヴィンチ・コード」にも「フィボナッチ数列」とか「黄金比」とか登場して、知的好奇心を思う存分くすぐってくれる。

よく、「こんな勉強したって、社会に出たら何の役にも立たないじゃん」と言って、数学や物理などがやり玉に挙がる。

まぁ確かに、学校で習うこれらのことがらが、すべからく日常生活で役に立つとは言わないが、ものごとを考えていく道順とか、いろんな解き方で正解を出す工夫とか、そういったことは十分培われるものだと思う。

数学で習った帰納法と演繹法は、その時は単なる証明法だったけれども、今ではいろんなことを考えるときに、少しばかり役に立ってくれている。

振り返って考えれば、学校で習うことも、「親の意見となすびの花」と同じなのかもしれない。ひとつのムダもない(と思いたい)。

そして、自分が親になってはじめて「親の意見」の貴さがわかるように、学校を出てしばらくたって「学校で習うこと」の大切さがわかるのだと思う。

ちなみにワタシのことをカンガルーは笑うのか?う~ん、かなり微妙と言えよう…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月29日 (日)

数学を愛した少女

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」を読み終え、昨夜から小川洋子さんの「博士の愛した数式」に取りかかっている。

これも、いつか読もうと思って買いだめしておいた本のなかの1冊なのだが、息子に先を越されてしまったのと、映画が公開されるのとで、背中を押されるように読みはじめた。

しかし、良い。数学好きのワタシにとって、レジャーランドの入り口に立ったようなドキドキ・ワクワク感を与えてくれる。

子供のころ、数が自然数からどんどん進化していき、分数、0とマイナスの出現、有理数と無理数、実数と虚数へと行き着く過程に、壮大なロマンを感じたものだ。

もともと好きだったということに加えて、ワタシの場合、良い数学教師に恵まれたという幸運もあると思う。教師という職業の功罪は、かように計り知れないものだ。

こんなに数学好きの子供であったワタシが、その後、なぜ数学の道を探求しなかったか。

大学で数学を専攻するルートは、当時、おおまかに言ってふたつあった。理学部の数学科と教育学部の数学教員養成課程だ。

「数学をやったって、メシは食えない」という現実的な助言もあったし、教師という職業に自分が向いているかという危惧もあった。

でも、最大の理由は、うまくは言えないが、「結婚するなら最愛の人ではなく二番目の人」理論に近いものだと思う。

それに、本当に好きなものを生業とし、お金を稼ぎ、それでパンを買うことが、何かすごく「いけないこと」のような気がしたのも確かだ。

要するに、何かと真摯に向き合うためには、ただ単に「好き」だという感情だけではダメだということだと思う。

そして本当に好きなものは、大事にしまっておくほうが良かったりする。

…。

今でもたまに、こどもの数学の宿題をみてやることがある。解ける問題もあるし、すっかり忘れてしまった公式もある。

「この公式を忘れちゃだめだぞー」という先生の声が聞こえる。

その瞬間、ワタシは数学好きの少女に戻れる。いつでも…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月18日 (水)

残ります

今読んでいる「そうだ、村上さんに聞いてみよう」の中で、村上春樹氏が読者からの質問に答えるかたちで、「女性が40代で『残る』ためのポイント」についてこう言っている。

①自分に甘えない
②でもかりかりしない
③そして大きく出ない

氏に言わせると、女性は40代で「『残る人』と『落っこちる人』の差が歴然」としてくるそうだ。

「でもそこで残った人って、ほんとうに素敵ですよね。すごく魅力的です。」とも…。

残りたいっすね~。

まずは、①から攻略か…。う~ん…。

よく考えると、どれも難しい。

ワタシって『落っこちてる人』なのか?

過去形なのか?過去完了なのか…。

いやいや、今日から巻き返しをはかります。

素敵で、魅力的な女性をめざします。

残る。残るとき。残れば。残るぞぉ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年1月16日 (月)

そうだ、みつけてみよう。

ワタシの今のオフィスはロケーションが良く、周囲には大きな書店やデパート、ミュージックストア、カフェがいくつかある。

そしてそれらが地下でつながっているので、雨の日でも寒い日でも、特に困ることはない。

今日のお昼休みも、いくつかの書店をはしごして本の大人買い。

それからスタバでひとやすみ。といきたいところだったが、午後いちで用件があったので、袋一杯の本を抱えての移動を余儀なくされる。おかげで腰が痛い。

インターネットで本を買うこともあるが、やっぱり書店に行って、いろいろ見て、読みたい本を買うのが楽しい。(そういう環境にないかたにはゴメンナサイですけど。)

いろいろ見ていて、はずみで買った本が大当たりということも、よくある。

今読んでいる「そうだ、村上さんに聞いてみよう」は、別の本を探しているときに見つけたもの。以前はこんな楽しいサイトがあったんだな~。

ワタシがよくおじゃましているbananafishさんが紹介された「小確幸」のことも出てました。村上さんご自身の小確幸もなかなか素敵です。

ワタシも小確幸をみつけてみようっと。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月15日 (日)

負の投影

「アンダーグラウンド」読了。なんのかんの言いつつ、1週間で読んでしまった。

この流れで「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」と続いてしまいそうだ。

もっとも知り合いの村上ファンに言わせれば、「風の歌を聴け」からの3部作を読んでこそ、村上ワールドの真髄を究めることになるのだとか。

まあよかろう。いずれ読むのだから。

ところで、「アンダーグラウンド」の中で『心理学的に言えば、私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影であるという場合が少なくない。』というくだりがあり、ずきゅんと胸を打ち抜かれた。

ワタシは正直に言って、人の好き嫌いが激しい。嫌いな人間とは、同じ空気を吸うのもイヤだ。

それが『自らのイメージの負の投影』であったとしたら、恐らくワタシは立ち上がれないだろう。

でも、日常でも、「嫌い」という感情は、無視できない対象であるからこそ抱くことが多い。「意識している」というヤツだ。

社会では、当然のことだが嫌いな人とも付き合っていかなければならない。

今はひたすら我慢するしかない。ストレスはたまるけど。

そしてときには自分を振り返ってみる。ざらざらした気持ちを、よしよしとなでてやる。そんなことじゃダメだよと、叱咤激励する。

こんなワタシにも、心静かに暮らせる日が、いつか来るのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月10日 (火)

アンダーグラウンド

一昨日、何の脈絡もなく思い出した「ジァン・ジァン」だが、もう今は閉まっているらしい。

主役を演じていた俳優さんも、亡くなられたそうだ。

当時、そこに行くと言ったら、大人の女のひとから「アングラでしょう?」と言われたことを思い出す。その場所が、本当に彼女の意味する「アングラ」だったかどうかは、わからない。

 
今、「アンダーグラウンド」を読んでいるのは全くの偶然。

いや、何かインスパイアされたのかもしれないけど…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 7日 (土)

タフな15歳

「海辺のカフカ」読了。

良いわ~。この空気感。

「言葉」のひとつひとつを、いとおしむように読む。

主人公のおとこのこが、これまたいとおしい。

ワタシにも、もうじき15歳になるおとこのこがいるが、15歳になる前にこれを読んでほしい。

そして、自分と、自分のこれからをみつめてほしい。

 
この主人公のおとこのこのように、本をよく読む人が好きだ。また、よく勉強する人も好きだ。「ノルウェイの森」も好きな本だが、主人公がドイツ語の勉強をするシーンが特に印象に残っている。冒頭の飛行機の中のシーンとともに、大好きなシーンだ。

幸いにも、うちのおとこのこは、本をよく読むし、よく勉強もする。ニュートンを読みたがるし、映画を見るのも好きだ。音楽もよく聴くし、スポーツも好きなようだ。

その点においては、ワタシと話が合うし、おそらく家族の中でいちばん気が合う。だから衝突もよくする。

考えていること、思考回路が驚くほど、そして恐いほど似ている。

受け売りかもしれないが、彼には、本当にタフになってほしい。

だから、体も心も頭も、今のうちに鍛えておいてほしい。

彼がどんな大人になっていくか。ワタシの遺伝子が、彼という個体に引き継がれ、どんなふうに変化していくか。

それを見届けたい。いとおしみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月26日 (土)

機会と結果のあいだ

三浦展さんの「下流社会」という本を読みました。

印象に残ったのは、

「もし、完全なる機会均等社会が実現したら、結果の差はすべて純粋に個人的な能力に帰せられる。」

というくだり。

そういう社会は、「言い訳がまったくできない」「非常に過酷な」社会らしい。

努力をせずに言い訳をする人はニガテ。ていうか、努力しない人ほど言い訳上手だったりする。

でも、もって生まれた能力に差があるのは、歴然とした事実だと思う。認めるのは、なんかツライけど。アキラメとも違うんだけどね。

なんてことをいろいろ考えた本でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)